2020年03月26日

WebRTC/SkyWay でビデオチャットを作る?

 新型コロナウイルス感染拡大で、続々と集会が中止になっております。本業の方では、ビデオ会議を導入できないかと調査中。そのついでに、両親や要介護の叔母とビデオチャットができるようにならんかな、と思っている。Skype とかちょっと試してみたけど、80オーバーの年寄りが使えるようなシロモノではないんですね。ビデオ通話アプリって、揃いも揃ってなんであんなに複雑なユーザーインターフェイスなの?

 かといって、ビデオ通話アプリを自分で作るなんて、絶対無理だよな…と思いつつ、ダメもとで「ビデオ通話 アプリ作成」などで検索してみると、案外出てくるんですねこれが。

 難易度(とか利用価値とか)はおいといて、実はそんなに難しいものではないのでは、という気がしてきた。テクニカルには WebRTC, 実装としては SkyWay というのが使えそうな感触である。

 このページ「SkyWayを利用してWebRTCを試す、そして iOS11 のSafariで自作ビデオチャットを試す」に書かれてある内容に沿って、SkyWay を試してみた。JavaScript SDK のチュートリアルに少し手を加えて、スマホと PC で一人ビデオチャット(しゃべってないけど)。

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 へー、できるじゃん。内輪のビデオチャットだったら JavaScript だけで実装できそうだな。https のサーバを用意しないといけないっぽいのがちと面倒だが。

posted by toshinagata at 23:15| 日記

2020年03月21日

Switch インタビュー「ブレイディみかこ×鴻上尚史」

 今をときめくお二人の対談。いやー素晴らしかった。首をぶんぶん縦に振りっぱなし。

 前半は、ブレイディさんへの鴻上さんのインタビュー。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」や「子どもたちの階級闘争」から引用されたエピソードを元に、「多様性を乗り越えていくこと」がさまざまな角度から語られる。「ぼくはイエローで…」を語る時に誰もが触れる「制服」のエピソードに加えて、鴻上さんは「エンパシー」について触れられた。本の中では、中学生の息子さんが「公民」の試験で出題された問題で、彼は「他人の靴を履いてみること(他人の立場に立って考えてみること)」と答えたそうだ。なお、英語の empathy は、「他人の感覚を理解し共有する能力」と定義されている。実は、英和辞典で調べてみると「感情移入」「共感」という訳語が当てられているが、これでは "ability" というニュアンスが欠落している。ブレイディさんが強調するのは、「empathy が ability だ、ということは、これは『訓練によって伸ばすことができる』ものなのだ」という点。この点は、後半の鴻上さんの「演劇教育」の話題とつながってくる。

 後半は、鴻上さんへのブレイディさんのインタビュー。「理不尽なルールと戦う」ことが鴻上さんの信念の一つになっていることが語られる。理不尽なルールが山のようにあることは、日本社会が抱えている大きな問題だ。鴻上さんはこれを、「同調圧力」、あるいは「世間」と「社会」という切り口で説明していく。「世間」とは、自分の知っている範囲の人々の集まりであり、「社会」は自分と関わりのない、知らない人々の集まりである。かつて日本社会では、「世間」の範囲のルールに従っていれば生きていけたのだが、人間の間の関係性が複雑になるにつれて、「社会」と対峙することが避けられなくなってきた。現代の日本は、まだその折り合いをつけることができずに、苦しんでいる状況なのではないか、と。

 未来への一つの希望として、「演劇」を学校教育に取り入れることが有効ではないか、と話は続く。鴻上さんはもちろん演劇人の立場から、そしてブレイディさんは英国の教育機関でしばしば「演劇」的な要素が取り入れられているという体験から、この視点で意見が一致する。鴻上さんは「演劇人がこれを言っても手前味噌になるだけだから、他の人にどんどん言って欲しい」と言われる。まあそれはそうなんだろうけど、鴻上さんや平田オリザさんのような一流の演劇人が、演劇教育に積極的に取り組んでおられるのは、未来につながると思います。

 内容の濃い、すばらしいインタビューだった。多くの人に見て欲しいですね。

タグ:社会
posted by toshinagata at 23:45| 日記

2020年03月14日

常磐線全線復旧

 朝から「ひたち3号」が Twitter のトレンドに上がっていて、何だろうと思ったら、これだった。

 ああ、常磐線の全線再開。ニュースでは知っていたけど、現場ではこういう感慨があるんだ。

 この記事の中で、JR東日本の社長は「(10両編成で定員600人の輸送力は需要に対して過大だが)経済合理性だけでなく、将来に向けた一つの希望の印だ」と語る。鉄道の運行って、その地域にとっては、シンボリックな意味があると思うんですよ。

 かつて、青函トンネルが開通してしばらく経った頃に、北海道で生まれ育った人と会食した時、「札幌駅で『上野行き』という列車を見た時に、なんだか涙が出てきてね…」と語られたことが、今でも忘れがたい。その人は、本州で長く仕事をされていたし、飛行機で北海道と本州の間をごく普通に行き来されていたはず。それでも、札幌駅で「上野行き、北斗星」を目にした時の感慨は、格別なものがあったという。

 感慨の度合いはだいぶ薄れるけど、九州新幹線が開通した後に、新大阪駅で「鹿児島中央行き」の列車を見た時に、やはりこみ上げてくるものがあった。電光掲示板に流れる停車駅が、「つながっている」という感覚を呼び起こすんだよね。

 機会があれば、「ひたち」で仙台を訪れてみたいと思っています。

タグ:社会
posted by toshinagata at 10:54| 日記
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