2020年09月19日

阪急電車の美意識

 阪急電車に週刊誌の吊り広告がないのは、昔からよく知られた話です。そもそも、京都線の特急なんて、昔は吊り広告自体がなかった。

 阪急電車は本当にキレイなんだよな。車両の外装も、内装も、いつもピカピカ。とんでもない手間をかけていると思う。最近はどこの鉄道会社も車両をきれいにしているけど、昔は車内で唾をはくオッサンとかガムを捨てる子供とか普通にいたし、内装を美しく保つのは大変だったんじゃないかな。

 私の実家は能勢電鉄沿線にあります。これを「阪急沿線」と言うのは、優良誤認表示でしょう。でも、どこかに出かけようと思ったら必ず阪急電車を使うことになるので、気分的には阪急沿線でした。小学生の頃から、週に2回は阪急電車に乗っていた。

 50年前! ということは、私が子供時代にもう3100系は宝塚線で走っていたんだな。当時は、それより古い、ちょっとくすんだ感じで片開きドアの車両もまだ走っていた。急行は新しい車両で、それがめっちゃきれいだったのはよく覚えている。たまに急行が古い車両だと、なんか損した気分になったな。(なお、当時は宝塚線には急行と普通しかなかった。)ごく最近まで現役で走っていたなんて、驚きだね。

タグ:社会
posted by toshinagata at 20:18| 日記

2020年09月16日

金星のホスフィンは生命の痕跡なの?

 「生命の痕跡」というのが Twitter のトレンドに上がっていたので、読んでみた。

 元記事はこちら。「Phosphine gas in the cloud decks of Venus」(J. S. Greaves et al. Nature Astronomy (2020). https://doi.org/10.1038/s41550-020-1174-4. オープンアクセスなので、購読者でなくても読めます。

 論文の内容は、金星から放射されているマイクロ波を分析することで、金星の大気中に 20 ppb(10億分の20)程度のホスフィン PH3 が含まれていることを明らかにした、というもの。ホスフィンが生成する機構を検討したところ、既知のモデルでは説明がつかず、未知の光化学・地球化学的過程か、生命由来の可能性がある、と主張している。

 ここで「生命由来」という言葉を論文の概要に含めているところがポイント。もちろん、著者たちは、それが「山ほど可能性がある中の一つ」に過ぎないことは十分わかっている。でも、論文の概要にその一言を入れることで、一般向けの記事が飛びついて「金星に生命の痕跡か?!」と盛んに宣伝してくれることを、ちゃんと計算しているはずだ。(この文も宣伝に一役買っているわけだ。)そして、多くの人に読まれることによって、巨大な国家予算を要する天文学研究が市民に広く応援される、というのが最終的な到達目標なのだろう。

 このプロセスには、どこにも「誤り」はない。科学的にみれば、このホスフィンが生命由来である「可能性」は当然ゼロじゃない(逆に可能性がゼロであることを証明するのはほぼ不可能)。つまり、論文の記述にウソはなく、科学的な誤りはない。一方、それを受けて、「多くの可能性のうちの一つだけを強調」して、「金星に生命の痕跡か」と見出しをつけるのは、一般向けのメディアなので、科学的な正確さを遵守する責任はない。論文に実際に書かれていることを取り出して、人々が興味を持つ部分を紹介しているわけだから、彼らは単に自分たちの仕事を全うしているだけのこと。その記事を読んだ一般の人が、「すごい、金星に生命の痕跡が見つかったんだ」と感心するのももちろん当然のことで、何の問題もない。

 どこにも問題はないんだけど、やっぱり引っかかる。「金星の大気中に 20 ppb のホスフィンが見つかった」と「金星に生命の痕跡が見つかった」の間には、とてつもなく大きな落差がある。研究者、論文、一般記事、一般読者と情報が伝達される間に、少しずつ内容が変容して、結果として大きな落差が生まれている。引っかかるのは、その落差が、論文の著者によって(おそらく)意図的に誘導されていること。これは、研究者として不誠実な姿勢なのではないか、と思うのです。研究者の端くれとしても、一般市民としても、納得できないものを感じる。

タグ:科学 社会
posted by toshinagata at 21:06| 日記

2020年08月31日

「エーゲ海の祭典」序曲

 Andreas Makris 作曲の "Aegean Festival Overture"(「エーゲ海の祭典」序曲)という曲があります。アメリカ海兵隊軍楽隊の演奏でどうぞ!

 昔、吹奏楽でやりました。この曲すごく好きなんです。もっと知りたいなと思って、ある時期ネットでいろいろ調べたんだけど、ぜんぜん情報がなかったんですよね。もう忘れられた曲なんかなあ、と残念に思っていました。ところが、"Wind Repertory Project" (WRP) で、しっかり紹介されている。どういう経緯で作曲されたかもちゃんと書かれている。

This piece was written in 1967 as an orchestral overture for the Washington National Symphony and was premiered by that group under Howard Mitchell a year later at Constitution Hall. Its immediate success then and on tour occasioned the collaboration between Makris and Albert Bader of the U.S. Air Force Band to arrange the overture as a concert piece for band.

"Aegean Festival Overture", The Wind Repertory Project

 さらに、作曲者の Andreas Makris 氏のウェブサイトも見つかった。氏は 2005 年に他界されたが、その作品を紹介するためのウェブサイトが運営されている。

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 オーケストラ原曲のスコアを見たいと思っていたのだけど、それはさすがに無理かな、と思いきや、なんと "DOWNLOAD" のタグが IMSLP へのリンクだった! つまり、著作権者が許可を与えて IMSLP からダウンロードできるようにしている、ということ。これは素晴らしい……

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 手書きのスコアと、浄書したスコアがあります。浄書した方は、移調楽器が実音で書いてあるとか、なんかいろいろ変なので、手書きの方がよいです。非常に読みやすく、丁寧に書いてあります。

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 スコアを読んでみると、Bader 編曲の吹奏楽版といろいろ違う点が見つかりました。吹奏楽版のスコアは手元にないので、記憶に頼っていますが、上の YouTube の吹奏楽版が記憶と一致していたので、間違ってはいないはずです。

 まず、練習番号8の 15〜16 小節目で、弦が同じフレーズを繰り返している。編曲版では、2回目が省略されている。ページの切れ目なので、作曲者がうっかりしていたのかもしれない。

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 練習番号11から、「5/8 2小節+2/4 1小節」の交代になるが、原曲では2回ずつ同じ音程で繰り返している。編曲版では、繰り返しが省略されている。原曲通りだと、少しくどいかもしれない。

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 練習番号13の7〜10小節、6/8+4/4 が1組省略されている。

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 このあとトランペットに高い D が要求されるんだけど、弦パートを押し付けられてるのかと思ったら、原曲でもトランペットだった。Makris 先生キツいっすねえ。

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 このあとクラリネットのカデンツァがあって、中間部に入る。中間部は、原曲ではバスーンの無伴奏ソロで始まり、次に打楽器の伴奏でイングリッシュホルンが同じフレーズを繰り返し、さらに弦のピチカートの伴奏でフルートが確保・展開する。編曲版では、最初のバスーンのソロに打楽器の伴奏をつけて、その次がフルートになる。つまり、2回目の繰り返しを省略。

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 このあとも、要所で繰り返しが省略されていて、緊張感を高めている。上の紹介文でも "the collaboration between Makris and Albert Bader" とあるから、作曲者も了解の上で手を入れた、と考えられる。

 アメリカの大学バンドでは相当頻繁に演奏されているようだけど、日本ではどうなんでしょうかね。最近は日本人作曲家が素晴らしいオリジナル作品をたくさん発表しているから、古い曲は出番がないのかもしれない。目を向ける価値がある曲だと思いますけどね。

タグ:音楽
posted by toshinagata at 21:01| 日記
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