2020年09月22日

DTM演奏:コダーイの無伴奏チェロソナタ

 コダーイの無伴奏チェロソナタ Op.8 第3楽章を DTM でやりました。

 音源は Roland JV-1010 + Orchestra Card 1。確か、Nifty FMIDICLA に最後に投稿した演奏だった(2000年6月)。このころ、みんな SC-88 にそろそろ飽きてきていて、別の音源を探す動きが始まっていた。一時流行ったのが JV-1080/JV-1010 だった。窪田さん(マンデルブロ音楽の人)や襟草梯さん(字が違うかも)が、いろいろ使い方を研究していた。JV-1080/JV-1010 は音作りの自由度が高くて、2つの波形を重ね合わせて、その重みを MIDI のコントロールチェンジでリアルタイムに変える、というような設定ができた。この演奏でも、チェロのアタック音の強さをコントロールチェンジで細かく変更している。

 しかしながら、当時はまだオーディオデータを交換するにはネット帯域が非力で、独自音源を使うとごく一部の人にしか聴いてもらえない、というジレンマがあった。ちょうどこの時期に、著作権が生きている楽曲についての JASRAC の特別扱いが終了する、という話も出てきて、FMIDI の活動自体が転機を迎えていた。そういったもろもろの事情で、自分も FMIDI にはいつしか出入りしなくなり、DTM 活動もそのままフェードアウトしていった。

 DTM 活動に復帰した大きなきっかけは Facebook の FMIDIRBN ですね。FMIDICLA の頃のような熱気はないけど、コミュニティが存在しているのは大きい。

 コダーイの話に戻る。この曲は名曲です。ある人が「バッハの無伴奏チェロ組曲に匹敵するぐらい素晴らしい」と評していて、さすがにそれは褒めすぎじゃないかと思うんだけど、音楽の密度はものすごく高いです。特徴的なのは、3・4弦を半音下げて調弦していること。これで、開放弦が A-D-F#-B となる。この曲は B minor なので、開放弦が Bm7 の構成音になっているのは都合がいい。しかし、3・4弦で弾く音を半音高く記譜するのはどうなんでしょうね。音取りがものすごく難儀なんだけど、弦楽器奏者にはこれが都合いいのだろうか。バッハの無伴奏チェロ組曲5番もそういう記譜になっている。弦の人に聞いてみたい。

 この曲に取り組んだきっかけ。JV-1010 のソロチェロの音を聴いて、「これはソロ曲いけるな」と思ったので、作り始めたんだけど、想像以上に大変だった。ソロ弦の曲って情報量がとてつもなく多くて、楽譜を1段分進めるのにめちゃくちゃ時間がかかる。残りページ数を見て、何度もため息をついたものだった。第1楽章・第2楽章が残っているけど、なかなか取りかかる気になれない。

 ところで、最近 Sound Canvas VA の更新のために Roland Cloud に登録したんだけど、そこで JV-1080 のソフトウェア音源が出ていることを知った。一瞬心が動いたけど、わざわざこれを使って作品作るかな?と思うと、あまり可能性は高くなさそう。これを買うぐらいだったら、オーケストラ+ソロ弦の専用音源を考えた方がいいかもしれない。

タグ:音楽 DTM
posted by toshinagata at 08:55| 日記

2020年09月19日

阪急電車の美意識

 阪急電車に週刊誌の吊り広告がないのは、昔からよく知られた話です。そもそも、京都線の特急なんて、昔は吊り広告自体がなかった。

 阪急電車は本当にキレイなんだよな。車両の外装も、内装も、いつもピカピカ。とんでもない手間をかけていると思う。最近はどこの鉄道会社も車両をきれいにしているけど、昔は車内で唾をはくオッサンとかガムを捨てる子供とか普通にいたし、内装を美しく保つのは大変だったんじゃないかな。

 私の実家は能勢電鉄沿線にあります。これを「阪急沿線」と言うのは、優良誤認表示でしょう。でも、どこかに出かけようと思ったら必ず阪急電車を使うことになるので、気分的には阪急沿線でした。小学生の頃から、週に2回は阪急電車に乗っていた。

 50年前! ということは、私が子供時代にもう3100系は宝塚線で走っていたんだな。当時は、それより古い、ちょっとくすんだ感じで片開きドアの車両もまだ走っていた。急行は新しい車両で、それがめっちゃきれいだったのはよく覚えている。たまに急行が古い車両だと、なんか損した気分になったな。(なお、当時は宝塚線には急行と普通しかなかった。)ごく最近まで現役で走っていたなんて、驚きだね。

タグ:社会
posted by toshinagata at 20:18| 日記

2020年09月16日

金星のホスフィンは生命の痕跡なの?

 「生命の痕跡」というのが Twitter のトレンドに上がっていたので、読んでみた。

 元記事はこちら。「Phosphine gas in the cloud decks of Venus」(J. S. Greaves et al. Nature Astronomy (2020). https://doi.org/10.1038/s41550-020-1174-4. オープンアクセスなので、購読者でなくても読めます。

 論文の内容は、金星から放射されているマイクロ波を分析することで、金星の大気中に 20 ppb(10億分の20)程度のホスフィン PH3 が含まれていることを明らかにした、というもの。ホスフィンが生成する機構を検討したところ、既知のモデルでは説明がつかず、未知の光化学・地球化学的過程か、生命由来の可能性がある、と主張している。

 ここで「生命由来」という言葉を論文の概要に含めているところがポイント。もちろん、著者たちは、それが「山ほど可能性がある中の一つ」に過ぎないことは十分わかっている。でも、論文の概要にその一言を入れることで、一般向けの記事が飛びついて「金星に生命の痕跡か?!」と盛んに宣伝してくれることを、ちゃんと計算しているはずだ。(この文も宣伝に一役買っているわけだ。)そして、多くの人に読まれることによって、巨大な国家予算を要する天文学研究が市民に広く応援される、というのが最終的な到達目標なのだろう。

 このプロセスには、どこにも「誤り」はない。科学的にみれば、このホスフィンが生命由来である「可能性」は当然ゼロじゃない(逆に可能性がゼロであることを証明するのはほぼ不可能)。つまり、論文の記述にウソはなく、科学的な誤りはない。一方、それを受けて、「多くの可能性のうちの一つだけを強調」して、「金星に生命の痕跡か」と見出しをつけるのは、一般向けのメディアなので、科学的な正確さを遵守する責任はない。論文に実際に書かれていることを取り出して、人々が興味を持つ部分を紹介しているわけだから、彼らは単に自分たちの仕事を全うしているだけのこと。その記事を読んだ一般の人が、「すごい、金星に生命の痕跡が見つかったんだ」と感心するのももちろん当然のことで、何の問題もない。

 どこにも問題はないんだけど、やっぱり引っかかる。「金星の大気中に 20 ppb のホスフィンが見つかった」と「金星に生命の痕跡が見つかった」の間には、とてつもなく大きな落差がある。研究者、論文、一般記事、一般読者と情報が伝達される間に、少しずつ内容が変容して、結果として大きな落差が生まれている。引っかかるのは、その落差が、論文の著者によって(おそらく)意図的に誘導されていること。これは、研究者として不誠実な姿勢なのではないか、と思うのです。研究者の端くれとしても、一般市民としても、納得できないものを感じる。

タグ:科学 社会
posted by toshinagata at 21:06| 日記
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