2016年10月24日

どえりゃー世界都市 NAGOYA?

 「どえりゃー世界都市 NAGOYA 目指す」(毎日新聞)。そういえば、先日新聞の折り込みで入って来た「広報なごや」で、一面記事が名古屋市立向陽高校の「国際科学科」の紹介だった。向陽高校と言えばノーベル物理学賞の益川先生の出身校で、今でもかなりハイレベルの生徒が集まっていて、そこで理数系と国際交流を強化した教育を実施している、というなかなか良い話なのだが、その記事の横に河村たかし市長が名古屋弁でコメントしているのが何とも悪い冗談に見えた。決して「名古屋弁が恥ずかしい」と言っているわけではない。こういう公式文書で、しかも国際化なるものがテーマである記事に対して、市長がくだけた名古屋弁でコメントを寄せることに対して違和感を感じたのだ。

 これが例えば京都市であったなら、(わざわざ国際化なんて言わないだろう、というツッコミは置いといて、)普通の標準語でコメントを寄せつつ、ときどきアクセント程度に「京ことば」を入れて地域色を出す、という芸を見せるところだろう。河村市長の丸ごと名古屋弁のコメントは、「名古屋の人にだけ理解してもらえればそれで十分」という排他的な精神の現れと見られても致し方ない。そして、名古屋という街は、そのような人を首長として恥じることがない、ということでもある。

 「世界都市 NAGOYA」を目指すのであれば、まずはこういう排他的な風潮を打ち砕いて、外に開かれた精神を持つべきだろう。最近の調査で、日本の大都市の中で名古屋が飛び抜けて不人気であるとされる要因は、一にも二にもこの「内向き」の精神にあると思う。この内向き指向を克服しないと、いつまでも名古屋は「大きな田舎」と呼ばれ続けるだろうし、今後没落の一途をたどるだろうと思う。

タグ:社会
posted by toshinagata at 22:53| 日記