2018年12月15日

あおり運転:やられた側に非はあるのか

 東名高速あおり運転の死傷事故で、地裁の判決が出ました。法解釈の点からは難しさが残るんだけど、心情的には「被告は厳罰に処されるべき」と感じる人が多い事案と思います。あまりにも自己中心的だから。

 ところが、これほどひどい事案でなければ、「あおられるような運転をする方が悪い」という意見もちらほら見かけます。今日も東名高速でドアミラーを折った男が逮捕されていますが、そのニュースへのコメントにも「煽られたひとにも非がある」という書き込みがある。

 本当に「非がある」と言えるのか? なぜあなたがそれを判断できる?

 「マナーを守れ」っていうけど、自動車の運転には高度な技術が必要。マナーを守りたいと思っていても、守るだけの技術を持ってない人もいる。今日の東名高速の件、岡崎市でしょ。今回の被害者の方は違うかもしれないけど、岡崎市って下手なドライバーがめちゃくちゃ多いんですよ。そこそこの規模の地方都市なんだけど、公共交通機関が発達してないので、みんな車に乗るしかない。自動車教習所も、あんまり丁寧に技術を教えずに「まあ、こんなもんでいいんじゃない」と卒業させてしまう。それで、岡崎には東名の IC があるから、下手くそなまま高速に乗っちゃうわけですよ。東京−名古屋を長距離走る人から、三河ナンバーが蛇蝎のごとく嫌われているのはそのためだと思っています。私も迷惑かけていた一人ですが。

 下手くそな奴は高速に乗るなって? でも、車で移動するしかない人だっているじゃないですか。親の介護のために毎週週末に慣れない運転で長距離移動しないといけなくなった、でも毎週新幹線に乗る金はない、という人に、高速に乗るな、と言うんですか。いったい何の権利があってそんなことが言えるの?

 危険な車線変更するのは確かにいかんと思う。でも、技術が足りなくてそうしてしまった人は、その時点ですでに恐怖を感じてるんですよ。生まれた時から運転が上手なあなたにはわからんかもしれんけどね。そんなにしつこくあおらなくても、クラクションを一発鳴らすぐらいで十分な制裁になってますよ。

 結局、「あおられるような運転をする方にも問題がある」と主張する人は、自分の運転技術が高いことから、自分が偉くなったように勘違いをしているだけだと思います。道路は公共物なんだから、あらゆる人に開かれてないといけない。それは、自動車の運転技術が低い人に対しても同様。運転技術が低い人がいることも想定した上で、安全運転を心がけるのが本当の運転マナーというものでしょう。

 みんな、余裕がないんだろうな、と思う。うちでは、他の車がいかにもイライラした様子で幅寄せしたり車間を詰めたりしていると、「あれはウ◯コが漏れそうになって焦ってるんや」と解釈することにしています。そうすると、そんなに腹も立たない。レクサスのシートをウ◯コで汚したくないでしょうからねぇ。また、逆に高速で遅い車がいると若干イライラすることもあるけど、追い抜きざまに見ると、たいがい自分の親と同じような世代の人がハンドルを握っているわけですよ。そうすると、大目に見てあげようという気持ちにもなります。

タグ:社会
posted by toshinagata at 21:32| 日記
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