2020年09月16日

金星のホスフィンは生命の痕跡なの?

 「生命の痕跡」というのが Twitter のトレンドに上がっていたので、読んでみた。

 元記事はこちら。「Phosphine gas in the cloud decks of Venus」(J. S. Greaves et al. Nature Astronomy (2020). https://doi.org/10.1038/s41550-020-1174-4. オープンアクセスなので、購読者でなくても読めます。

 論文の内容は、金星から放射されているマイクロ波を分析することで、金星の大気中に 20 ppb(10億分の20)程度のホスフィン PH3 が含まれていることを明らかにした、というもの。ホスフィンが生成する機構を検討したところ、既知のモデルでは説明がつかず、未知の光化学・地球化学的過程か、生命由来の可能性がある、と主張している。

 ここで「生命由来」という言葉を論文の概要に含めているところがポイント。もちろん、著者たちは、それが「山ほど可能性がある中の一つ」に過ぎないことは十分わかっている。でも、論文の概要にその一言を入れることで、一般向けの記事が飛びついて「金星に生命の痕跡か?!」と盛んに宣伝してくれることを、ちゃんと計算しているはずだ。(この文も宣伝に一役買っているわけだ。)そして、多くの人に読まれることによって、巨大な国家予算を要する天文学研究が市民に広く応援される、というのが最終的な到達目標なのだろう。

 このプロセスには、どこにも「誤り」はない。科学的にみれば、このホスフィンが生命由来である「可能性」は当然ゼロじゃない(逆に可能性がゼロであることを証明するのはほぼ不可能)。つまり、論文の記述にウソはなく、科学的な誤りはない。一方、それを受けて、「多くの可能性のうちの一つだけを強調」して、「金星に生命の痕跡か」と見出しをつけるのは、一般向けのメディアなので、科学的な正確さを遵守する責任はない。論文に実際に書かれていることを取り出して、人々が興味を持つ部分を紹介しているわけだから、彼らは単に自分たちの仕事を全うしているだけのこと。その記事を読んだ一般の人が、「すごい、金星に生命の痕跡が見つかったんだ」と感心するのももちろん当然のことで、何の問題もない。

 どこにも問題はないんだけど、やっぱり引っかかる。「金星の大気中に 20 ppb のホスフィンが見つかった」と「金星に生命の痕跡が見つかった」の間には、とてつもなく大きな落差がある。研究者、論文、一般記事、一般読者と情報が伝達される間に、少しずつ内容が変容して、結果として大きな落差が生まれている。引っかかるのは、その落差が、論文の著者によって(おそらく)意図的に誘導されていること。これは、研究者として不誠実な姿勢なのではないか、と思うのです。研究者の端くれとしても、一般市民としても、納得できないものを感じる。

タグ:科学 社会
posted by toshinagata at 21:06| 日記
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