2018年07月03日

著作権保護期間が死後50年から70年に延長

 TPP11関連法が参院本会議で成立しました。これに伴い、著作権保護期間が50年から70年に延長される。他国の対応が順調に進めば、年内にも発効するとのこと。米国の TPP 脱退で、著作権保護期間の延長はいったん凍結されたのに、なぜ日本は独自に延長を決めたのか、よくわからない。いったい誰が得するんだろう?

 この規定、遡及適用はされないんだよね? EU 諸国で著作権保護期間が延長されたときは、域内統一のため遡及適用が行われたらしい。今回は、そういう特殊事情ではないので、いったんパブリックドメインになったものが再び保護される、という事態にはならないと思いたい。

 音楽関係で、作品の保護期間が経過しているかどうか、思いついた作曲家についてちょっと調べてみた。戦時加算が適用される作曲家の場合、作曲年によって加算期間が異なるので、かなりややこしい。

  • コダーイ (ハンガリー、1967没): PD(戦時加算なし)
  • ヒンデミット (ドイツ、1963没): PD(戦時加算なし)
  • プーランク (フランス、1963没): 「フルートソナタ (1957作曲, 戦時加算なし)」「チェロソナタ (1948作曲, 戦時加算4年?)」は PD だが、「3つの常動曲 (1918作曲)」や「2本のクラリネットのためのソナタ (1918作曲)」は戦時加算10年なので、保護期間内。
  • ヴォーン=ウィリアムズ (イギリス、1958没): 「グリーンスリーブスによる幻想曲 (1908作曲)」は PD、「ピアノ協奏曲 (1931作曲)」は保護期間内、「チューバ協奏曲 (1954作曲)」は PD。なんで「グリーンスリーブス」は PD なんだ? 理屈がよくわからん。
  • フローラン・シュミット (フランス、1958没): 大部分の作品が PD だが、例えば「小さな音楽 Op.32 (1906作曲)」「交響曲第2番 (1958作曲, 1959出版)」は保護期間内。

 ところで、戦時加算の撤廃と 70 年延長をバーターする、という議論がかつてあったと思うのだけど、あれはどうなったんだろう。戦時加算がそのまま残っているということは、上のようなややこしいケースで保護期間が残っているものは、あと20年この状態で維持されてしまうわけですか。

タグ:音楽 社会
posted by toshinagata at 20:13| 日記

2018年06月28日

感性と論理とバッハの音楽

 「感性」と「論理」がともに重要なのはまったくその通りだと思う。だけどね…

大作曲家バッハの楽曲には、譜面の左右対称、上下対称、点対称、平行移動などを自由に音楽的・有機的に組み合わせ、まるで建築のような美しい構造が音楽の神秘・美を生み出しているものが多数存在する。

たとえば、『蟹のカノン』を一人が冒頭から楽譜を読み、もう一人が最後からさかのぼって楽譜を読んで同時に演奏すると、バッハらしい、美しい音楽が生まれる。

 「蟹のカノン」ってそんなに美しいか? 知的な曲だとは思うけど、音楽としては「破綻してないけど、魅力あるものとは言えない」というのが真っ当な感想じゃないかと思う。そもそも、カノンって無理のある音楽形態ですよ。バッハはカノン形式の曲をたくさん作っているけど、音楽的に魅力あると言えるのは「音楽の捧げ物」の無限カノンぐらいじゃないか。

 カノンの他にも、バッハの音楽には「数字の謎解き」みたいなものがあちこちにあるらしい。有名な例は BWV803 のヘ長調デュエットだけど、これも音楽的には「なんだかよくわからない、イマイチ面白くない」というのが妥当な線だと思う。

 バッハの音楽の大きな特徴は、確かに論理的で説得力のある音の運びにある。しかしながら、バッハの音楽を感覚的に「美しい」と感じる瞬間って、しばしばその論理性から一歩はみ出したところにあるんじゃないですか。

 例えば、「トッカータ・アダージョとフーガ (BWV564)」のアダージョの最後の Grave のところ。こういう展開になる必然性って何もないよね。でも、この F#dim7 on B♭ の和音は、思わず息を呑むほど美しい。

20180628-1.png

 あるいは、平均律第1巻第1曲のプレリュード。バスが F# → A♭→ G と動くのって論理的には変じゃないですか。でも、この A♭の1小節は、聴き手の意表を突いた見事な寄り道だと思うのです。

20180628-2.png

 ちなみに、これがツェルニー版だとこうなっちゃうわけです。これは、ツェルニーの凡庸さを後世に知らしめた、音楽史に燦然と輝く改悪でありますね(余分な小節を挿入したのはツェルニーじゃないけど、それを採用した時点でダメでしょ)。

20180628-3.png

 最初の記事の話に戻ると、「感性が大事」という話に持って行くんだったら、なんかもう少し、筆者の「感性」に信頼をおきたくなるような文言が欲しかったなあと思うんですよ。遠近法が正しいだけで優れた絵画になるわけではないのと同様、音楽の論理構造と感性に訴える力は別物です。楽譜の「点対称」とか「左右対称」に至っては言わずもがな。そういう切り口がないと、結局「感性って言ってるだけで、実は論理しか見えてないじゃん」ということになってしまう。

 正直言って、こういう独りよがりな人が語る「教育」論はあまり信用できないと思う。でもなんかこの人、「STEAM教育者」とか自称しちゃってるんですよね…

タグ:音楽 教育
posted by toshinagata at 00:10| 日記

2018年06月17日

映画「万引き家族」

 パルムドール受賞の前から、見に行きたいと思っていた。賞をとっちゃったので、混んでたら嫌だなと思ったのだけど、観客は20人ぐらいでした。妻に言わせれば「名古屋だとこれでも多い方じゃない?」とのこと。

20180617-1.jpg

出典:ムビッチ【映画チラシ】「万引き家族」

 いやーすごかったわ。特に樹木希林と安藤サクラ。何気ない表情の下にいろんなものを隠し持ってて、重層感が半端じゃない。

 この家族、最後にはバラバラになっちゃうんだよ。もちろん、社会正義としてはそれが「正しい」。あるべきところに落ち着いた、ことになる。でも、上のスチールでの6人の穏やかな笑顔、これは「あってはならない」ものだったんか? 6人で海に出かけた思い出は? 「正しいかどうか」で簡単にはくくれないものがそこにはある。

 一部の人が、日本の恥をさらした映画だ、と酷評しているらしいけど、それは正反対なんじゃないか。どんな社会でも、追い詰められてギリギリで生きている人がいる。その人たちにちゃんと光を当てて、表現作品として公開して、それが国際社会で高い評価を受けて、しかも多くの人が映画館に足を運んで見ている。むしろ、日本はそれだけ成熟した文化を持つ国だ、と胸を張ってもよい現象ではないですか。これを酷評している人たちの見苦しさ・恥ずかしさがあぶり出されたとも言える。是枝監督の仕掛けたワナに、まんまとはまったようなものだよな。

タグ:映画 社会
posted by toshinagata at 13:55| 日記
email.png
Powered by さくらのブログ