2016年11月27日

映画「聖の青春」

 公開中の映画「聖の青春」を見てきました。坊と妻と3人。ヒメは定期テスト中だし、そもそもあまり興味もなかったみたい。

映画館にポスターも何もなかったので、原作本の写真で紹介。この本はもともと単行本で持っていたのだけど、誰かに貸したきり戻ってこなくて、最近文庫本を買い直した。

 いやあ、いい映画でしたよ。すでに各所で絶賛されている通り、松山ケンイチ・東出昌大の熱演が本当にすばらしい。松山ケンイチ演じる村山聖は、場面ごとにいろいろな面を見せる。それは、様々な人が伝えている雑多な「村山聖」像から一人の魅力あふれる人間を再構築したものだ。そして、東出昌大の羽生善治! 存命で活躍中の人物、しかも不世出と言ってもよい底知れぬ能力を持つ人物を演じるとは、どれほどのプレッシャーだったことだろう。そして、何と鮮やかに演じきったことか。鬼のような将棋の強さと、人としての優しさと高貴なたたずまいは、実在の羽生善治と見事に重なる。

 村山と羽生が定食屋で2人で語り合う場面。将棋ファンからは「あり得ないシチュエーションだ」と不評の声もあるようだ。タイトル戦?の打ち上げから対局者が2人揃って消えるのは変だろう、と。確かに不自然な演出なのかも知れないけど、この場面の2人のやりとりは感動的だった。もし、2人がサシで将棋について語るとしたら(現実にはあり得ないとしても)、まさにあのような会話になったのではないか。2人の将棋観が深いところでつながっていることを示すために、あえて作り出された場面なのだと思えば、納得できる演出と言えるのでは?

 そして、クライマックスとなる、2人の最後の対局。盤上での2人の無言の対話が、定食屋での会話と重なる。そして、秒に追われて指した痛恨の落手(7六角)。それを見た羽生は涙をこらえる。これも現実にはあり得ない状況かも知れないけど、「棋譜は対局者が2人で作り上げるもの」、そしてこの一手が「それまで築き上げて来た村山の優位を一瞬にして無にした」ということを映像で描くには、これしかない選択だったのだと思う。

 ちなみに、今日の観客は20人もいませんでした。ほぼすべてが、自分より年配の方々。もっと広い世代にアピールできる作品だと思うけどなあ。

タグ:映画 将棋
posted by toshinagata at 00:42| 日記